98歳で亡くなった祖母の7回忌に両親と町田市の霊園、いずみ浄苑フォレストパークへ。亡くなったのは5月だが、私の帰国に合わせてこの日1時30分から行った。朝方降っていた雨も止み、早咲きの桜さえ咲いていた。3回忌のときも晴れだった。樹木葬で、緑豊かな谷間に、恰幅のいいお坊さんの読経の声と鐘の音が響く。嫌味な美声でなく、ころあいの感じの良い声。時間も長すぎず短すぎす、丁寧に供養している感がある。
ペットのためのお墓の区画が広くとってあった。ペット専用と、ペットと人間が一緒に入る区画。樹木葬で宗教を問わない霊園なので、墓を管理する子孫はいないが、家族の一員としてペットがいるという人々も多いと推測する。普通の霊園に比べて、ペット区画の割合はどれだけ多いのだろうか。
買い物をすませてしまおうと、新宿に出てビックロで爆買い。安いものばかりだが。
ユニクロでワイヤレスブラとパンティーのセット2種を色違いで計4セット購入。ビッグカメラでは、カメラバッグとレンズフィルター、レンズクリーナーのほか、一番弱い度の初めての老眼鏡(化粧品のパッケージの細かい文字などが読めないので)、ドラッグストアコスメのアイブロウペンシル3種、コンシーラー2種、パウダーとファンデーション、落ちない口紅コートなど。安くて可愛くコンパクトな折りたたみ傘も。
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爆買いの後は、大学時代から行きつけの老舗ジャズ喫茶「DUG」で一休み。ジェームソンのロックを注文。グラスいっぱいに広がる流氷のような氷で美味。相変わらず居心地がいいし音楽もいいなあと思っていたら、隣の席に大学生か新社会人の若造2人が座り不愉快に。 1人は親父の金で贅沢してるらしく、的外れなドイツワインのうんちくをたれ、もう1人はそれをありがたがって聞いていた。
一杯飲んで帰ろうと思いつつ、歌舞伎町に吸い込まれていく人と出て行く人々を見ていたら、ビルの合間から吠えるゴジラと目が合ってしまい、ふらふらと歌舞伎町へ。
Entrance of Kabuki-cho.
風俗孃の出勤風景。ねずみ色のサラリーマンの中では遠くからでも分かってしまう。A sex worker is going to work in kabuki-cho.
Shinjuku Omoide Yokocho 大ガードを通り、当然のように新宿思い出横町へ。しょんべん横町が思い出横町になり、外国人観光客が押し寄せる人気スポットになっても、まだまだ味のある風景がある。
3/17(金)
大学の音楽サークルの先輩で、一人っ子の私にとって兄的存在であるTさんとランチ。5日の渋谷での飲み会でも会ったが、前回果たせなかった2人だけのデートをやっと実現。2年前に会った時は、彼がまさかの胃がん手術後だった。早期発見だったので経過は順調だが、お互いの持ち時間に対してより敏感になったことは言うまでもない。今回もお互いの予定がつまっていたが、西大島の彼の職場近くに行き、会うことができた。
私の第一希望はトンカツ屋だったが、二軒とも閉店のため、おすすめの中華料理屋の担々麺を食べる。非常に真面目で繊細、その反動でクレイジーなユーモアのセンスを持つ兄は、仕事の昼休み中でオンとオフの切り替えがうまくできなかったのか、今ひとつ固かったが、会えてよかった。白味噌が効いた担々麺は素敵に美味しくて、担々麺でない物を食べている他の客に、なんで担々麺食べないの!と言いたいぐらい美味しかった(写真写りは良くないので写真なし)。各駅停車しか泊まらない無名の店のラーメンが、ニューヨークで一番美味いラーメンより美味しいんだから、ニューヨークがラーメンブームとはいっても、日本のラーメンの歴史と蓄積にはかなわない。
Near Tokyo Photographic Art Museum in Ebisu. 写真美術館近くで
More Shinjuku. Old bar where Akira kurosawa or Yukiko Mishima used to hang around. 黒澤や三島も通った1951年創業の居酒屋「どん底」。バーテンに写真を撮っていいか聞いたら、人物(客と解釈したので隠し撮り)が写らなければ好きなようにどうぞという話だった。2階、3階、そしてもちろん地下でも写真を撮ったが、どこの階でも気持ちいい対応だった。
祝杯をあげにきた老紳士2人。何のお祝いだろう。
家で夕食を食べることになっていたので、オリジナルの酎ハイカクテル「どん底」を一杯飲んだだけだったが、今度はゆっくり友人と訪れたい。金子光晴の作品「ドンカクの唄」にも登場するカクテルだ。
ドンカクをなみなみ注いで
コップをまえにおくと
ふしょうぶしょうに
この世界はうごきだす
ほかにも「誘惑の夜」「桃尻女」「昭和のジンライム」など興味深い名前のカクテルが。
新宿に来る度に撮ってしまう、東南口の食堂・長野屋 Old restaurant near Shinjuku Station.
家でトンカツの夕食後に一服していたら、父親がカラオケをやるかといいだし、親戚から預かっている家庭用カラオケマシンで両親とカラオケ。曲が少ないので、私は「知床旅情」「熱き心に」と十八番の「ロックンロール・ウィドウ」を歌ったら、歌う曲がなくなってしまった。父とは「別れても好きな人」をデュエット。
父は歌い込んでいるのと、楽譜に正確なので、うまいわけではないが93点を出した。私は一応歌手の端くれだが80点代後半。母が歌うとなぜか「0点 歌ってください」というコメントが出る。2回歌い、2回目は私と一緒でもなぜか同じ結果で大笑いになった。父は締めにお得意の「別れの一本杉」を歌おうと立ち上がる。私が、さっきも歌ったよと指摘したら、「そうだったか?」とご愛嬌だが、ボケの始まりか?いずれにしても気持ちよく歌ってもらえて良かった。
3/18(土)
ニューヨークに戻る前日に、大学時代のクラスで一番仲のいい女友達3人と再会。暗めのターコイズブルーの地に芥子色の縞のアンティークの着物でお洒落していく。
東京駅近くの、1949年創業の老舗中華・秦興楼八重洲本店で中華を堪能。日本の中華料理はやっぱり、ニューヨークより断然美味しい!写真は有名なジャンボ餃子。黄ニラと豚肉の炒め物もとてもおいしかった。
関西の大学でロシア語を教える友人は、研究のためにロシアに行く直前に人生初めての骨折をして手術、杖をつきながら現れ、翌日モスクワへ旅立った。パワフルな彼女や他の2人も、それぞれ絶妙に違った個性で、違った人生を生きているけど、久しぶりに会っても分かり合える存在。お互いに元気を与え合った。
食後に大丸のイノダコーヒーでお茶。季節の桜あんみつ。
隣の席のあまりにもきれいな子
家で最後の夕食。とろろ芋の千切りに海苔をかけたのや鶏飯など、素材を活かしたシンプルな料理が多く、一番美味しかった。ニューヨークではサルモネラ菌が心配で食べられない、朝の卵かけ御飯も美味しかったなあ。ニューヨークの方がおいしい料理や食材(アボカドなど)もあるし、その土地で一番美味しい物を食べるようにしている。主婦業約18年にもなると、母の味を元にしつつも、自分の台所の味ができているので、せっかくの母の手料理を甘すぎると思うこともしばしばあったが(買い物や片付けをしなくていいのは本当にありがたいが)、最後のご飯は何を食べても美味しかった。久々の実家で母と娘がお互いの違いを認識しつつ、時間をかけて歩み寄れたということかな。
3/19 帰国
成田から 午前11時発の日本航空6便。行きと同じで、新百合ケ丘からバスに乗って空港へ。朝5時半頃に家を出たが、父がバス停まで車で送ってくれ、母は空港まで送ってくれた。
例によって、帰国前夜はトランクと格闘してふたを閉めたが、チェックインカウンターで4キロ重量超過となる。ラウンジでトランクを開け、重い骨董の陶器や本を手持ちにし、アメリカの半額だったので、つい多めに買ったコンタクトレンズの洗浄液を捨てて量り直したら一回で成功した。トランクに入れない分の荷物だけを量りに行き、母がふたを開けたままのトランクに付きそってくれていたので、無駄な手間がかからず気も楽だった。母は「大ハプニングだったが、そつなく処理する姿に娘の成長を感じた」と誇らしく思ったそうで、この成長も夫のおかげと感謝したそうだ。本当の大人なら、トランクを締めるのに格闘せず、スマートに一発でチェックインしそうなものだが、トラブル対策できるのも年の功か。
今回はゆっくり目の滞在で、金婚式記念旅行などしっかり親孝行もできたので、両親とも満足してくれたようだった(父は言葉には出さないが)。母から、空港での別れは寂しさよりも、私を愛する夫のもとに帰すことができるという安堵感の方が勝っていたというメールをもらった。
夫はJFK空港まで迎えに来てくれたが、飛行機を降りてから彼に会うまでにえらく時間がかかり、トランプ政権下の入国管理を直に感じた。いろんな国を旅してきたが、グリーンカードを持っていてもアメリカほど空港での入国審査に時間がかる国はなく、いつも気分が萎えるのだが、今度はなおさらだった。米国市民はすぐに窓口を通過していたが、グリーンカード保持者の審査がとにかく長い。ヨガマット(!)を抱えた白人女性は超タカビーな女性職員に10分以上止められ、やはり全く無害そうな韓国人(?)の姉妹らしき若い女性2人も長々と足止めをくっていた。列に並んだ他の乗客と目を合わせ、肩をすくめたが、ただ待つしかない。
私もタカビー職員に当たったのでしまったと思ったが、早く済んだ。が、窓口に行く前にパスポートを読み込む機械をすっ飛ばしたため「なぜだ」と強く問われたので、「前使った時は壊れていて使えず、結局元の列に並び直して合理化のはずが全然合理化になっていないから」という理由はもちろんおくびにも出さず、「使い方が分からない」と無知無害を装い、「使い方を教える職員はいなかったのか」という問いにも「ノー」で通し、無事通過した。不愉快な気持ちには変わりない。
もちろん、夫と猫たちとの再会は、そんな気持ちを吹き飛ばしたが。
今回は日曜昼に帰国し、昼寝をせず、翌日から職場復帰、積極的にヨガとヨガニードラ(ヨガのリラクゼーション)を行ったらなんと3日間で時差ボケが解消した。
4月初め、夫の母の誕生日を祝ったことを母に報告したら、以前だったら羨ましかったけど、十分お祝いしてもらったので、心からお祝いできます。盛大に祝ってあげてください、という返事が来た。私は、それをそのまま82歳の義理の母に伝えた。彼女はやや耳が遠く、内容によっては何度も言わないと通じないのだが、この時は一度で通じ、大輪の牡丹のような笑顔で微笑んだ。