Friday, December 7, 2018

Trip to Spain : Madrid to Alhambra Granada


11月6日(火)
マドリードからバスでグラナダへ。朝7時発のバスに乗るために、朝5時45分起床、チェックアウト。タクシーでバスターミナルへ。ターミナルには英語表示がなく、乗り場を探して右往左往。カフェテリアは活気がある。カフェ・コン・レチェはどこでも美味しい。

スペイン最大のバス会社ALSAのバスの旅は快適で、チビの私にもフットレストの位置がちょうど良い。アメリカの近中距離バスと比べ物にならないほど快適。日本のより快適かもしれない。予定通り正午着だったが5時間以上乗っても大丈夫そう。時間も正確。料金一人22.55ユーロ。

マドリードのバスターミナル

オリーブ畑が延々と続く



1回休憩があった。標識は「マドリード」「グラナダ」
黒人男女カップルと白人男女カップルの乗客が理由はわからないが激しく言い争いしているのを座席から眺めていた。

休憩所内部

MOETのミニボトル、どんなオケージョンで飲むのか気になる。ビールやワインならともかく、バスの休憩所でシャンパン買わなくてもと思うのは食文化の相違なんだろう。


バスがあまりにも快適でほとんど寝ていた。プリンセスのようにすっきりした寝起きだった。

バス停からタクシーで、今夜の宿Marquis Hotels Issabel'sへ。
ニューヨークで言えばプラザホテルのような一等地で、ホテル前には噴水があり、歴史的建造物に囲まれている。慌ただしくチェックイン後、ホテルの隣から出ている無料バスでアルハンブラへ。10分ほど。

有名な宮殿3つが集まるPalacios Nazariesの入場は、1時半をオンライン予約(一人14.85ユーロ)してあった。今回の旅で最も予約が取りにくい場所で、これを決めてから全体の日程を確定した。予約時間に間に合うよう急いだが、時間通りに行っても15分くらい(?)並んだ後に入場。メスアール宮、コマレス宮、ライオン宮、パルタル宮と見ていく。

入り口から特別感が



アルハンブラは高いところにあるのでグラナダ市街を見下ろせる。今回の旅では高いところに登ることが多い。



















コマレス宮中庭


私の写真の腕ではうまく撮れないが、レースのように繊細な柱の石膏装飾(?)に陽の光があたり、水面からの反射もあるのだろう、踊るように揺らめく様子はいつまでも見ていたいほど美しい。白っぽい色なので、写真より汚れていると思った箇所も多かったが、ここは文句なしに素晴らしい。













ライオン宮回廊とその付近














パルタル宮中庭





アルハンブラ宮殿の装飾タイルの本を読んでいるうちに、この宮殿がルネサンス時代に建てられたことに気づいた。ウィキペディアによると、アルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは、レコンキスタが進展した時期で、グラナダを首都としたナスル朝(1238〜1492年)の時代に入ってから。
「1世紀前半、1031年の後ウマイヤ朝滅亡後にキリスト教徒の国土回復運動であるレコンキスタが本格化し、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世が1085年にトレドを降伏させ、後にフェルナンド3世が1236年にコルドバ、1246年にセビリアを陥れた。このレコンキスタは、イスラム圏にとってはキリスト教徒による再征服活動であり、イスラム圏に残されたのは、グラナダを中心とするアンダルシア南部地方のみとなった」

アルハンブラ宮殿のメスアール宮殿やコマレス宮殿が建設・拡張されたのは14世紀で、ルネサンスの時代でもある。「ルネサンスは古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり、14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった」。これは、私が学校で習ったルネサンスの定義と一致する。アメリカで教育を受けた夫も同意した。でも、イスラム圏ではルネサンスはどのように教えられているのだろうか?キリスト教の圧力が迫る中で、イベリア半島のイスラムの最後の牙城であるナスル朝は、アルハンブラ宮殿の壮麗さによってイスラムの偉大さを伝えようとしたのだろう。

「ギリシアをはじめとする古典的な知の遺産は、そのほとんどが8世紀から9世紀にかけてアラビア語に次々と翻訳され、初期のイスラム文化の発達に多大なる貢献をもたらした。そうした知識の継承が一段落ついたかと思う間もなく、新たな翻訳の時代がその幕を明けた。古典的な文献とイスラムの哲学者や科学者たちがそれに加えた注釈が次々とラテン語に翻訳されたことによって、西ヨーロッパの人たちはイスラムが継承、拡充した古典をラテン語で読むことができるようになった。翻訳作業の大半は、イスラム圏とヨーロッパ大陸を繋ぐ中継基地としての役割を担っていた、イスラム支配下のスペインにおいて行われ、この作業には、それぞれ出身地を異にするイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒など、数多くの翻訳者集団が参加した。 ルネサンス期のヨーロッパの学者たちは、膨大な百科全書のようなギリシア-イスラム文献に取り組み、こうした文献は、最終的には、多くのヨーロッパの言語に翻訳され、印刷技術の飛躍的な革新によってヨーロッパ全土に普及した。イスラム文化が衰退の一途をたどりはじめた時代と相前後してギリシア-イスラムの知の遺産を継承した西洋がルネサンスによって旺盛な活力を獲得し、イスラム文化にとって代わって世界史の表舞台に登場したことは歴史の皮肉にほかならない」。

面白い!!
トルコもローマもギリシャも旅したが、スペインのイスラムの遺産の独特さにシビれたのはこういう歴史的背景があったのだと納得。今日の西欧文化は、イスラムを通したギリシャ・ローマの古典の遺産によっているという事実を、もっと多くの人が皮膚感覚で感じることができたら、今の愚かしい宗教戦争が緩和されるのではと望むのはナイーブにすぎるだろうか?

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