Friday, January 8, 2016

キューバヘの旅 Part 3

12/13

9時にバラデロ行きのバスが迎えに来る。ハバナ市内のがたがた道で各ホテルから客を拾って行くので、車酔い気味。

12時過ぎバラデロ着。オールインクルーシブ・リゾートのメリア・バラデロ。



昼食はトリニダード・グリルで、白身魚のフィレ。


日没までビーチで過ごす。昼寝。日没は隣のレストラン(元デュポンの別荘だった建物)「ザナドゥ」のゴルフコースから眺める。





夕食のビュッフェ。豚肉をラードでいためてあり、しつこい。フランがめちゃうま。夫にやっと電話できる。ここは国際電話が夜11時までかけられる。が、レートはハバナよりやや高く、1分2.7 CUC. ドアのない電話ボックスのようなブースで自分でかける仕組みだが、音声は非常に遠い。



することがないので、ナイトクラブで開催されていたダンスコンテストをのぞく。ロシア人父娘など、ヨーロッパとカナダ人ばかり。 ハバナのヘミングウェイゆかりのレストランで会ったのと多分同じ日本人シニア団体に遭遇。ダンスコンテストのクラブにはいなかった。ハバナクラブのロック、カフェでさらに2杯、バーでシーバス12年。



12/14

ホテルの朝ご飯ビュッフェ。卵がやっぱりおいしい。手に持つと重くて、黄金色の黄身がぷっくり盛り上がっている。ハバナでゆで卵と目玉焼きを食べたので、ここではハムとチーズのオムレツを作ってもらう。すごく美味しいが、あまりにもリッチな味で、せっかくのビュッフェなのに、他のものはいらないくらい。ラテン飯は好きで、普通は旅先では土地のものを目一杯楽しむのだけど、醤油味がなつかしくなる。魚に添えるレモンやライムが足りないのもさみしい。葉巻を半分に切ったような形の肉のコロッケもおいしい。



ビーチで一日中過ごす。ラムのロック、持参したバロウズの猫本(The Cat Inside—秀逸!バロウズが普通にうまくて機知に富み、感動もさせる文章を書けるとは知らなかった。最後には涙)を読み、暑くなると海に入る、を繰り返す。ビーチバーのバーテンのおじさんは、私がニューヨークから来たというと、「ニューヨークニューヨーク!」と歌ってくれ、”Only ron, only ron(ラムばっかり)”と節をつける。ラム5杯くらい飲んでるはずなのに、 ビーチでのんびりするのに完璧な気候の中で、不思議と酔わない。眠くもならない。風もなく、水着だけで一日快適。海の中でのエクササイズのクラスもあったが、ただ海を眺めながらのんびりしていた。海は昨日よりも波が静かで、不安になるくらいずっと浮かんでいられる。白砂に同化して見える半透明の地味な魚が4匹くらいづつ泳いでいる。

ビーチは月曜日なのに昨日より混んでいて、朝の10時過ぎですでに
ビーチチェアーがない。隣の同系列ホテルのビーチに行き、そこの椅子に座っていたら、「It is not possible!(ありえない!)」と強い口調で追い出される。自分のホテルのビーチに戻ってきたら椅子が2つ空いていたので、Yちゃんの分もとっておく。が、荷物を置いていても、 これ空いてる?と何回も聞かれて、最後には面倒くさくなって放棄。

ビーチタオルも午後2時過ぎにならないとなかったので、部屋のタオル持参で行った。ビーチリゾートできれいなタオルがないなんて!というだけでなく、タオルの管理も厳しい。1人に1枚ビーチタオルチケットがチェックイン時に渡され、それと引き換えにタオルを渡してもらうシステム。だが、私は昨日、タオルを返すときに、自分のチケットをもらうのを忘れてしまい、今日新しいタオルを借りるのにひと騒動。Yちゃんが自分のと一緒に借りてくれようとしたがだめで、私が行ったが、昨日誰に返したと聞かれ、分からないと答えると、いろいろ電話をかけて確認したり。君を信じない訳じゃないけど、手続きがうるさくてボスにしかられちゃうから、という係員のホセの話。結局、貸してくれたが。ビーチタオルはバスタオルよりも厚手で、ビーチチェアーに敷くのに、はるかに快適なことを知った。ビーチタオルのありがたみをこんなにかみしめたことはない。

ホテルでのインフラ不足のエピソードをもう一つ。マリオットホテル風に、1階に 円形の中庭や噴水があり、その周囲にガラスのエレベーターがあるが、3台中2台しか動いていない。なかなか来ないだけでなく、来てもドアの開閉時間が短く、通過してしまうこともあるので、ダッシュしないと乗れない。

昨日1人で見つけた夕日スポットにYちゃんと行く。部屋に戻り、シャワーを浴びてから「ザナドゥ」の屋上バーへ。ハバナクラブではない11年もののラム(8CUC)。モンテクリストNo2 (11CUC)をシェア。ラムは美味しく、葉巻は最高級品だが、強すぎて味がよくわからなかった。夕日はきれい。ほかの客は白人のカップルが二組いただけ。こんなきれいな夕日を、こんな少人数で淡々と見てるのは不思議な感じ。


7時半に日本食レストラン「Sakura」へ。ビュッフェでない、このレストランやステーキハウスは6時、7時半、9時の完全予約入替え制。当日の朝に予約を入れておかないと間に合わない。キューバのビーチリゾートの日本食はどんなものか好奇心で予約したが、要は、あまりおいしくない鉄板焼きレストランだった。


まず、変なコンソメ味のみそ汁。ご飯がぺちゃっとしたカッパ巻き2切れ。衣が分厚い海老とインゲンの天ぷら。鉄板焼きのチキンと白身魚。チャイニーズ風の醤油で茶色い焼き飯。アイスクリームの天ぷら。


隣の席の南アフリカ人母息子と話す。母は56歳にはとても見えない、知的で暖かい感じの美形。息子は15歳でイケメンのアニメオタク。「NARUTO」ファンの息子に、私の名前は「Ghost in the Shell」の主人公と同じ名前だと言ったが分からなかった。彼が生まれる前のアニメだもんね。「進撃の巨人」をすすめたら、名前は知っていた。母はケープタウンに家があり、ヨハネスブルクで勤務。政府関係の仕事らしく、3・11の時は、クライアントである東電の技術支援で来日したとのこと。キューバにも政府関係の仕事で来ていて、ニューヨークの超高級ホテルにも泊まったことがあるそうだ。エンジニアでも通訳でもなさそうなので、コーディネーターのような仕事か?

彼らと別れ、ラム中心に10杯ほど(プールバーのマルガリータも美味だった)飲んだ一日の酔いが追いついてきて、部屋に戻り沈没。



12/15

朝、海岸を散歩してから、超特急の朝食。ゆで卵、クロワッサン、ヨーグルト、砂糖がけグアバ、カフェオレ。キューバのコーヒーは、ミルクとコーヒー半々のカフェオレが一番美味しいことを、帰る日になって発見。サーバーもコーヒーとミルクのポットを両方持ってくる。

8時20分。強面のメキシカンレスラー風スキンヘッズの運転手が、ホテルからハバナ空港まで送迎。時間通りにロビーにいたのに、長時間待ったと、すでに怒っている。運転も超攻撃的。クラクションも鳴らさず、後ろから車間距離をぐいぐい詰めて、車線を譲らせる、いじめっ子な追い越しを繰り返す。ジャイアンと命名。

バラデロとハバナ空港の途中の都市Matanzas 。古い建物もたくさんあり、「キューバのアテネ」と言われたそうだが、車で通った箇所では、海岸沿いの石油コンビナートが、青い空と海を背景に、遮るものもなく長々と、 灰色のガスを吐き出していたのが印象的だった。

2時間5分で空港着。フライトは14:15で、まだ4時間もある。ペソは2CUCしか残っていなかったので、アフロキューバン音楽のボックスCDセット(40CUC) を買うため、5000円を両替(39.5 CUC)。

出国税25 CUCが必要だと、このツアーを予約したメキシコの旅行会社に言われたので、わざわざ別にとっておいたのに、もう廃止されたとのこと。今まで見た中で、一番しょぼい国際線ロビー&ゲートで、市内もそうだが、さらに買いたいものがなく(葉巻やラム酒はアメリカには持って帰れない)、2−3往復してキューバ最後の買い物。キューバ音楽のCD2枚、チェのはがきとしおり数枚、チェマグネット4個。

1階のカフェは暗く狭く、サンドイッチとスナック、ソフトドリンクだけ。空港というよりは、街のはずれにあるグレイハウンド・バスの停留所を思わせる。最後のキューバンビール&モヒート&ラムをゲート脇2階のカフェ&バーで。ハムとチーズのキューバンサンドイッチは、ハンバーガーバンズの端っこがカビていたので、そこだけ捨てた。それなりに美味しいけど、マイアミのリトルハバナの天国のようなキューバンサンドとは全く別物。バンズが食べるそばからぽろぽろこぼれる。


キューバ人はきれい好きのようで、こまめに掃除をしにくるおばさんに呆れられる。雀が後から来るが時遅し。バラデロのホテルの国際電話係のおばさんも、私もあんたみたいな白髪があるので、毎日苦労して染めてる、と語りだした。ラフなかっこよさってのは、あまり理解されないらしい。トニーも白の麻シャツと革靴でぴしっとしてた。ここでも、椅子が足りなく、椅子とり競争が繰り返された。Yちゃんが買い物に行ってる間、彼女の椅子に荷物を置いてなかったので、しょっちゅう、これ空いてる?とたずねられる。

ハバナクラブのロック1.75 CUC. 残っていた小銭を使い果たして払ったら、売り子のおばさんが指でOKサインを作ってくれた。モヒート3.5CUC. これがキューバ中で一番甘く強くて美味しかった。でも、リトルハバナほどじゃない。これで、ペソ全部使い果たす。今度行く時のため忘れないように書いておく。ドルは両替手数料がかかり、円は今のレートではドルから両替すると有利だけど、両替場所が限られているので、ユーロで持って行くこと。


ハバナ〜カンクン。2時間しか乗り継ぎ時間がなく、出入国の手続きと荷物受け取り、チェックインを、建物の外に出てしなくてはならず、蒸し暑い中を汗びっしょりに。なんとか間に合い、最後の土産物ショッピング。カラフルな缶入りのマルガリータケーキ、ハバネロソース赤と緑、カラフルな布袋入りメキシココーヒー、職場用にメキシコのお札の包み紙のベルギーチョコ(ベルギー製)。


フライトは出発が遅れただけでなく、JFKに着いても混雑のためゲート到着まで機内で45分ほど待たされる。入国手続きも、長い列に少ない係官で、1時間ほどかかった。グリーンカードを持っていて、税金もきちんと払っているのに、なぜキューバよりもメキシコよりも、アメリカで一番時間がかかるのか!アメリカぎらいになりそう。グリーンカード保持者と観光客が同じくらいの遅さという理不尽。Kioskマシンを導入してから、かえって時間がかかる。レシートにXマークが出てくるグリーンカード保持者は、結局米国市民と別の列に並び直させられた。 入国審査では日本から?といわれ、めんどくさいのでイエスと答え、税関ではメキシコからと答える。

道路も混んでいて、帰宅は夜の12時過ぎ。ともかく無事に帰って来れてよかった。Yちゃんとも仲良くやって来れたし。

翌朝、猫のファイアボールは、週末にしなかった分のマッサージを要求。たっぷり30分奉仕。もう十分かな?と思うと、冗談でしょという目付きを2回喰らい、ご奉仕を続けた。夫はファイアボールのeveryday prince、私は週末のマッサージ師!


(終)

Thursday, January 7, 2016

キューバヘの旅 Part 2



12/12

ハバナ2日目。8時半起床。ホテル屋上のレストランでビュッフェの朝食。旧市街の眺めがすばらしい。古い建物の数々とそこで活動を始める人たち。アールデコのバカルディ・ビルがすぐ横に見える。夫に電話。国際電話の窓口の向こうにいるおばさん係員に番号を渡すと、彼女がかけてくれ、カウンターにある電話をとって、立ったままで話す仕組み。






Plaza de Armas(アルマス広場)の古本市を目指して歩く。








私がストリートの写真を撮っている間、Yちゃんが、青少年文化センター で夜開かれる、ブエナビスタ系コンサートの客引き姉ちゃんにつかまる。ブエナビスタゆかりの、という言葉をハバナでは12回ぐらい聞いた。ブエナビスタに対する地元の反応は、ブエナビスタのようなバンドはハバナではいくつも作れるのに、という反感も混じっていると読んだことがあるが、観光に携わる人々は最大限に利用しているようだ。

地元の人の行く洋品&雑貨店などの案内をしつつ、センターへ連れて行かれる。女の子のダンス(サルサ、フラメンコ、ルンバなど)の発表会があるらしく、カラフルな衣装を着た女の子たちと両親でにぎわっている。トロピカーナに行くので、と断る。トロピカーナは観光客向けだから、地元のバンドを見た方がいいよとすすめられるが、私たちはハバナを初めて訪れた観光客なので、と言って去る。時間があれば、日の光が心地よいバーで、地元の家族の光景を見ていたかったけど。



トニーもこの女の子も、ハバナの治安のよさを力説。トニーは、(君のような)beautiful flower, good securityと繰り返す。確かに、 オビスポ通り以外は夜は暗いが、危険な感じはない。女の子はそれに加えて、売春もないと語る。それはどうかな?と思ったが、マレコン通りに夜集う若者たちの大群を見ても、若者のドラッグが目に見えるところで蔓延してないのは確か。少しづつ間隔をあけながら、カップル、友人、グループ、と健康的にえんえんと集っていた。お金はないが、時間と若さがある健康さ。

再び、Plaza de Armasを目指す。






Plaza Viejaの中にあった学校

Plaza de San Franciso サンフランシスコ広場





Café de Orientalで一休み。ここのモヒートが市内で一番美味しかった。2.5CUC。
キューバ版ムツゴロウのような、地元の人らしきおじさん。犬をかわいがっていたら、猫も寄ってきて膝に乗った。魔法の指を持っているらしい。犬が戻ってきて、またかわいがってくれとねだる。家でもたくさん動物を飼っているのかなあ。


2時頃、やっとPlaza de Armasの古本市に到着。キューバ人作家の小説2冊購入。各9CUC。今は沈没船博物館になっている元要塞 を見学。








オビスポ通りを戻りつつ、キューバンサンドイッチ(2CUC)を食べるが今イチ。






 民宿のサイン。今度来た時はこういうところに泊まりたい。


地元の人でにぎわっていたカフェテリア&バー。ここのキューバンサンドイッチは美味しそうだったが、人いきれがすごすぎるのと、Yちゃんが持っていたバスケットに手を入れられて万引きされそうになったので 断念。これ以外は危ない目に全くあわなかった。




子犬のような少年が子犬を抱えている。



ヘミングウェイ行きつけのバー「El Floridita」。ダイキリで有名。



紙を流さない方式のプラザと違い、きれいで近代的なパークセントラルホテルでトイレ。Yちゃんが両替している間、オビスポ通りの両替所の周りの、人々の生活が見えるブロックをぐるっと回って撮影。撮影を断る人は誰もいない(芸人はお金を要求するが、衣装など元手がかかっているのだから当然だ) 。笑顔も、作らない表情も、どちらもすばらしい。蒸し暑い気候ならではの開放的な暮らしぶりで、家の外に座り込んでチェスをしていたり、開け放した窓から普通の人たちの暮らしが垣間見えたりと興味深い。1998年 の映画「ビエナビスタ・ソーシャルクラブ」で見たのと全く変わっていない。



















ホテルに戻ってから、タクシーでルンバの野外コンサートの場所まで行くが、すでに終わっている。毎年12月開催の、新ラテンアメリカ映画祭の会場である劇場の脇を通る。



そのまま革命広場へ行き、写真撮影の間タクシーを待たせてホテルに戻る。往復20 CUC.



ホテルのそばでタクシーから降りて、パルケ・セントラルを少し歩く。

ガルシア・ロルカ劇場。夜のライトアップも美しい。

ドラッグクイーンのお姉ちゃんたちにからかわれるが、写真撮っていい?と切り返したら、うふふと笑いながらカメラにおさまってくれた。


戻ってきたところをトニーにつかまる。結局、トロピカーナまで片道15ペソで乗せて行ってもらうことに。トロピカーナまでは片道30分ほど。

オビスポ通りをまた引き返す。


Plaza de AlmaのCafé Minaで夕食。Yちゃんはロブスター、私はハバネラ・セット(ライス&ビーンズ、ベイクド野菜、フィッシュフィレ)。私の魚はあまり美味しくなかったが、寄って来た2匹の猫に魚をあげる幸せ。同時に、食料が配給制の国に観光しにきて、気に食わない食べ物を猫にあげる傲慢さに申し訳なく思う。





8時40分。トニーのパステルピンクのタクシーが迎えにきて、トロピカーナへ。



9時半頃つくが、雨が降っては止むのを3回繰り返し、結局止まず、10時過ぎに隣の屋根付き劇場へ。大人数(千人弱?)の移動にもかかわらず、ウエイターが覚えてくれていて “Follow me (僕についてきて)”. 85 CUC の真ん中の値段の席を買ったが、間違えて一番安い席の列に並んでいたところを見つけてくれた。しかも、真ん中のセクションで、ちょっと右寄りだが一番前の席に案内してくれた。野外の席よりもはるかに良くて、雨降りに感謝!

ショウの演出は非常にうまい。「プロデューサーズ」の劇中劇ミュージカルのクライマックスのテンションが延々と2時間続く。こんなキッチュで派手で楽しい舞台なんてありえない!と思うそばから、それを上回る踊りと歌、アクロバットやスキットが次々と展開される。女の子たちは特に可愛く、踊りもうまくて、このままブロードウェイに拉致したいようだ。最後には、ほかの観客と並び、Yちゃんと私もステージにあげられ、空中でくるくるとまわされる。あげくにYMCAを踊らされる。









トニーは1時間半ほどの遅れでも待っていてくれたが、残りのハバナクラブを没収された(ラムのボトル1本とコーラが付いてきて、ショウの間中キューバンリブレを飲めるというシステム)。 帰り道、昼間トニーが見せてくれた、もっとかっこいい車とすれ違う。もっと割のいい客に貸していたのだろう。1時間のツアーで30ペソと言っていたが、トロピカーナまで約30分で15ペソ、帰りは20ペソだったので、待ち時間も考えると割高ではない。



親切さと、お勉強で身につけたのではない実際的な頭の良さ、ちゃっかり感の絶妙なバランスで、キューバ人の国民性を垣間見ることができた、忘れがたい出会いだった。もちろん、限られた日程での限られた出会いだが、以前テレビの取材でハバナを訪れた知人も同じ感想だったので、あながち見当違いでもないのでは。

ショーの興奮覚めやらず、ホテルのバーでハバナクラブの7年ものをロックで。うまい!!部屋でコトンと眠る。