Wednesday, August 24, 2016

スイス&ミラノ旅行記 Part 4 : ミラノ

7/1(金) ミラノ

ホテルで朝食。これまで食べた中でいちばん美味しいベーコンとプルーン。ベーコンはアメリカのものより油が少なく薄めで、やや甘めのスクランブルエッグと一緒に食べるとちょうどいい。プルーンはヨーグルトと。



ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」ツアー10時半から。公式サイトからの予約は売り切れたため、ツアーに入る。公式サイトからだと6.5ユーロだが、「最後の晩餐」込みの3時間のツアーだと2人で151ドル。

ホテルから大聖堂までは徒歩10分ほど。




大聖堂前の粋な紳士

10時15分に大聖堂前の、本やCDなどを扱うデパート「モンダドーリ・メガストア」正面でチェックイン。デパート1階のトイレでは、キュートなお年寄りの男性がアテンドしている。私がトイレに入ろうとしたら、ちょっと待て、と手で制止された。時間をかけて清掃したはずなのに、目が悪いのか、髪の毛が1本便器に落ちていて、便器も濡れていたのは不思議だ。

10数人ほどのツアー。女性ガイドは情報量も多く、質問にも気軽に応えてくれる。
まず大聖堂から。


巨大な聖堂には巨大なステンドグラス



聖バーソロミュー像。質素な姿が、周囲の華麗な装飾と対照的

昨年からヨーロッパでテロが多発し、この旅行中にはイスタンブールの空港で爆弾テロがあった。大聖堂の裏手にはセキュリティ1人が配備されていたが、特に警備を強化した様子は見られなかった。


高級ショッピングモール、ヴィットーリオ エマヌエーレ 2 世のガレリア。世界最古のショッピングモールの一つ。






スフォルツェスコ城(Sforza Castle)。ヴィスコンティ家の居城を、ルネサンス期にミラノを治めたスフォルツァ家が改築した城塞。


スフォルツェスコ城には猫が多いと聞いて楽しみにしていたが、暑さのため、深い堀の下の日陰で寝ていた猫を4匹目撃したのみだった。ガイドによると、ご飯を上げる人たちがいるので「ミラノ中の猫が集まってくる」そうだ。残念だったが、9日間の旅行中で予定通りに行かなかったのは、猫に会えなかったことだけだった。 スイスでもイタリアでも犬の散歩をしている人は沢山見たが。



カフェ「Princi」で休憩。ベリータルト(3ユーロ)とエスプレッソ(1.5ユーロ)うまい。



「最後の晩餐」のあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に向かう






「最後の晩餐」を持ち時間の15分鑑賞してツアー終了

「最後の晩餐」の向かいの壁に描かれたフレスコ画は、やはり15世紀末ルネサンスのジョヴァンニ・ドナート・ モントルファーノ作「キリストの磔刑」


ストリートフォトグラフィー&ビンテージショッピングにおすすめの場所をガイドに聞いたら、ブレラ地区だと言われた。


ブレラ地区への途中にある、やはりおすすめの有名なチョコアイスクリーム屋「Chocolat」でショコラアマレットとピスタチオのアイス。うまい! 



ブレラ地区へ行く途中で見た人々









ミラノのお洒落地区ブレラ。人々は、歩き方までお洒落で、お洒落な装いがさらに格好良く見える。 




「Mario Luca Giusti」食器店。ガラス製ではなく、アクリルやメラミンなどのプラスチック。持ってみないと分からない。



ヴィスコンティ通り。おそらく彼の死後に、演出をしたスカラ座などの劇場に近い通りに新たに名前が付けられたのだと思うが、由来は分からなかった。




さらにブレラ地区の人々




新しいバイクを手に入れた男とその友人、らしい



ブティックの犬も当然おしゃれ


バレリーナフラットの色数が色鉛筆の箱をひっくり返したほどある靴屋がお昼寝タイムで(2~3時)休憩していたので、近くのカフェでランチ。



シンプルなトマト味のスパゲティ・ポモドーロ と白ワイン。ワインはいちばん安いのをグラスで頼んでいるだけなのに、本当にどこでも美味しい。暑すぎて赤を飲めなかったのが残念。



バレリーナフラットは値段も手頃だったが、幅が狭くて断念。

今回の買い物の目的地の一つであるビンテージショップ「Cavalli e Nastri」へ向かう。




「Cavalli e Nastri」は期待を裏切らなかった。



ラックにかかっていた商品はみな可愛く、安くはないが、気に入れば高くない値段だったものの、自分が実際に着るかどうかピンと来るものがなかった。が、殆どが5ユーロのワゴンを発見し、買いまくる。5ユーロで5点、ミッソーニのカラフルなストライプのカーディガンのみ10ユーロ。値段から信じられないほどのコンディションとセンスの良さ!!歩いているミラネーゼの格好よさとあいまり、ファッションの都の底力を感じた。



昨夜のミラノ座でのフォーマルな男女だけでなく、カジュアルでもミラネーゼはかっこいい。基本コンサバだが、歩き方からして違い、ウォーキングのレッスンのように足がすっと出ている人が多く、着こなしがさらにかっこよく見える。特に男は堂々としていて、写真を撮るのに声をかけなかったが、すぐ気がついてイイ笑顔になってくれる男も多い。お洒落なイケメンならなおさらで、自分の魅力を承知と見える。 

映画の場面を見ているような、ミラノ座でのお洒落しての社交は、ヴィスコンティがオペラを演出していたした当時から、そして彼の先祖の代からも変わっていないのだろうなあ。そして、その背景となるクラシックな建物の多くも変わっていない。ミラネーゼの大半のファッションは基本コンサバとはいえ、当然モダンな格好で、時代を感じさせるクラシックな建物との対照が何ともいえない。一人一人が、クラシックとモダンが共存するミラノを代表しているようで、バレエや芸術作品を鑑賞するよりも、人間観察がエキサイティングだった。


「最後の晩餐」の売店で絵はがきを買ったら入れてくれた、ミラノのクラシック建築をデザインした袋


ホテルのクリーニングサービスのリスト、特に女物が細かく、下着やシャツ、ナイトガウンが絹とそうでないものと分かれているなど、さすがファッションの都と思う一方、効率的にはどうなのか?とも思った。

スイスも古い建物がたくさん保存されているが、マーケットで生き生きと働いている人たちをのぞき、ストリートフォトグラフィーは全く撮る気が起こらなかった。人柄も服装もまじめで普通すぎて面白くないし、建物もきれいに保存され、清潔感がありすぎて、生活感がない。金持ち国スイスと、経済が破綻し、過去の遺産に頼っているイタリア(ミラノはファッションやデザインという大産業があるが)、どちらがいいかは住んでみないと分からないが、ストリートフォトグラフィー的には断然ミラノだ。スイスは、自然や美術館はとても良かった。食べ物も。ニューヨークから東京に戻ると思うのが、清潔さやきちんとした感じとクールさは全く別物だなあと思う。

この日歩き回った地区の家の入り口













「ミッソーニ」ブティックの入り口



さらにブレラ地区。撮るべき人が沢山いすぎる!!

エキストラ込みのイタリア映画の一場面のよう







ミラネーゼの足は、徒歩でなければ自転車とべスパが多いようだったが、自転車シェアも見かけた。


再び大聖堂方面に向かって歩く。



スカラ座ギフトショップ再び。カラスのマグネットを買い足す。 写真はスカラ座前。


もう一つの買い物目的地である靴屋「Mauro Leone」へ。期待以上で、もっと買ってくればよかった!!キュートなデザインと手頃な値段、履き心地のよさ、サイズの豊富さに感激した。22.5センチの私は、23センチからが殆どのアメリカの靴屋では選択肢が激しく限られるのだ。販売員のおばさまは、サイズ以外の英語はしゃべれないが、手振りを交えて意思疎通し、適切な接客だった。


はき心地最高の水玉エスパドリーユスニーカー(32ユーロ)、バレリーナストラップシューズ(68ユーロ)、ロングブーツ(90ユーロ)で190ユーロ。



大聖堂横の売店。蒸し暑い中の買い物の疲れと興奮をイタリアのビールでいやす




大聖堂横のデパート、リナシェンテ地下のデザインスーパーストアで目の保養。イタリア製を中心に、手頃なものから高価なものまでグッドデザインが目白押し。




ミラノで「アラビックヤマト」に再会するとは!
MUJI(無印良品)のコーナーもあった。

たくさん買い物して、持ってきたキャリーバッグに入らなくなったので、セールになっていたイタリア製のキャスターバッグを購入。定価38.9ユーロが30%オフで27.23ユーロ。ジッパーつきのポケットに全部を折りたためる、優れものの構造。



デザインストアのカフェ



近所の食料品デパート「Mercato del Duomo」のカフェでビールを飲み、お土産のチョコを購入。 




ガレリアに戻り、リゾーリ書店でイタリア製の映画日記帳(15.9ユーロ)と、ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵のテキスタイル・デザイン集4冊セット(36.75ユーロ)と1冊(12ユーロ)購入。スカラ座で購入したマリア・カラスのマグネットと共に。 




リゾーリのディスプレイ


ガレリア内の別の美術書店

ファッショナブルな人々


閉店したばかりのプラダ前。話のネタにと思ったが、入り損ねた。

自撮りに夢中のうれしそうなお父さん。妻と息子は疲れて呆れ顔


大聖堂近く


大聖堂近くのレストラン「Al Cabtone」で夕食。オッソ・ブッコにミラノ風リゾット。夫はラザニア。美味しかったがベストではない。白ワイン最高。




夫は、旅の疲れとミラノの蒸し暑さで体調も機嫌も良くない。私は買い物とその合間の白ワインを満喫したが、夫は昼食を取ったカフェでウエイターに無視され、本好きなのにリゾーリ書店では買うものを見つける前に閉店時間で追い出され、とミラノの印象は良くなかった。そういう状態だったので、私たちの「最後の晩餐」は楽しいものではなかった。ホテルに戻る。 



イタリア男そのままのディスプレイ



7/2(土)ミラノ~ニューヨーク

夜12時ごろ寝て午前2時半に目が覚め、メールをチェックしたら、朝10時40分発の予定が到着便の遅れで14:30発に変更になっていた。朝8時にカーサービスを予約していたので、予定通り6時に起きてフライト時間を再確認し、フロントで車の時間を変更。2時半に起きた後は、隣の部屋からアーアーと取り組みの声が聞こえてきて眠れず、旅先の睡眠導入剤の定番となっているグレツキの交響曲第3番を初めて最後まで聞いた。

9時43分起床。あわてて10時までのホテルの朝食に行ったが、私たちの後にも3組ほど来ていた。その内1組のカップルはたぶん早朝取り組みをしたと思われる。スイスのホテルの朝食と違い、終わり間際でもせかさず、10時すぎてもコーヒーポットを補充していたのはイタリア流?別のウエイトレスは、スクランブルエッグのお代わりをした私を、たっぷり30秒程にらみつけたが。



11時前にチェックアウトし、車の予約が11時半なので近所を歩き回る。行ったことのなかった、大聖堂と反対側に向かって歩いてみる。観光色が薄れ、普通の住宅地感が強まり、黒人やグラフィティも比較的多い。ミラネーゼの生活感が比較的濃い地域。








最後の最後に、最高のビンテージショップ「Alice in Vintage」を発見。70年代の柄物ブラウス(30ユーロ)、麻のリボン付きワンピ(15ユーロ)、80年代の赤のナイロントートバッグ(10ユーロ)を購入。ブラウスはこの旅行から帰って1週間ほど後の、結婚記念日のディナーに早速着た。


上品な老婦人と、緑のラメのホットパンツをはいた、英語を話す、ちゃきちゃきの娘でやっている小さなお店で、二人ともそっくり。 二人とも目を閉じてしまったNG写真は、さらにそっくりだった。



ミラノ空港はゲートまで歩く距離が長く、効率的ではない古いデザイン。ゲート前のプロシュート&モツァレラ・バゲットサンド&白ワインは最高。並んでいるとき、免税店見てくるから買っといて~と夫に言ったら、君が並ぶのはどう?と切り返され、昨日の不機嫌が続いているのかと思い、おとなしく列に並ぶ。冷えてない見本の白ワインのバーコードをレジに読ませているオヤジに、私の不安が顔に出ていたのだろう、後ろに並んでいたおじさんは、冷たいの出してくるから大丈夫!と請合い、彼は赤ワインを注文した。食後に免税店でキャンティと白ワインクラシコ各15ユーロ購入。



まだ明るいうちに、無事にニューヨーク着。猫2匹との再会を喜ぶ。猫たちはやや不機嫌だったが、徐々に機嫌を直してくれた。

ここ数年、夫と中国やギリシャ、トルコ、オーストリアなどあちこち旅してきたが、今回はスケジュールに比較的無理がないながら、非常に内容の濃い旅で、旅の後のリフレッシュ効果も高く、その効果も長く続いている。言葉が通じ、治安も良く、交通機関が整っているという、ツアーでない旅が無理なくできる場所の楽しさを最大限に味わった。

スイスの美術館にはまた行きたい。ハイキングもしたいし、雪景色も見たいが、スキーは高すぎるだろうから、冬にまたベルニナ急行に乗りたい。物価が高いのは難だが、レストランはニューヨークと比べて税・チップ込みで同じくらいの感覚。

イタリアはもっと知りたいと思う。手頃でセンスのいい秋冬物をミラノで仕入れるのはもちろんのこと、行きやすいミラノを拠点に、今回は今ひとつだった食べ物を極めたいし、ローマやフィレンツェにも行ってみたい。歴史を楽しむイタリアは老後の楽しみにとっておこうかと思っていたが、今でも気軽に回れて十分楽しめそうだ。

とはいえ、スイスも鉄道で無理なく回れて、鉄道を使ったヨーロッパの個人旅行は楽しい。ルツェルンで夫が提案したように、電車をまつ間の美術館、なんてこともできる。ニューヨークに帰って機嫌を直した夫は今回の旅以来、すっかり美術マニアになり、猛暑を避けるためもあって、美術館に足しげく通っている。旅をして、ニューヨークの美術館の素晴らしさを再発見したというわけ。夫が、お酒が飲めなくても、メニューを選ぶセンスがあまりなくても(味音痴な訳ではないが)アートを一緒に見て語り合えるのは貴重だなあと思った。

スイスのクールで見かけた、軍事教練の帰りらしき若者たちのグループについて補足。

平和なイメージの強いスイスだが、武装中立国で国民皆兵制を採用している。John A. McPhee著の「LA Place De LA Concorde Suisse」によると、全ての男子は30年間の兵役の義務があり、予備役軍人として毎年訓練に参加し、有事の際は48時間以内に動員される。軍隊での訓練はハーバード・ビジネススクールでの経験のように尊重され、軍での出世と一般市民としての出世は関連している。スイスの銀行の重役が軍の高官でもあるのは珍しくない。有事の際には橋やトンネルが取り壊され、ルツェルン近郊のSonnernbergトンネルが世界最大の核シェルターで、山岳部のあちこちに航空機の発着所があるなど、平和を守るための訓練や備えは欠かさない。

上記の著書からの興味深い引用を紹介する(拙訳)。「スイスは約500年間戦争を行っておらず、戦争をしないための手段の探求に余念がなかった。イタリアでは、スイスが軍隊を持っていることを知らなかった。スイス軍の人数がイタリア軍をはるかに上回ることを知ったイタリア人は、『それは難しいことではない』と言った」。

真面目なスイス、ゆるいイタリア、自然や美術館は素晴らしいが人間観察をするにはつまらないスイス、歴史あるアートの鑑賞よりも古い街並を歩く人々を見ている方が楽しく、ストリートフォトグラフィーを撮りまくったミラノ。全く違うけれど、どちらもとても楽しかった。また会う日まで。Ciao & Auf Wiedersehen ! (終)