Monday, December 29, 2014

トルコへの旅 Part 1


10月末にトルコに旅行してから二カ月ほどたつのに、いまだにトルコの魅力にはまっている。ここのところ毎年海外に行っているが、いちばん後を引いている。20年来大好きなNYに戻ってきて、NYはもしかして思ってたより面白くないかも?と思ったのはトルコが初めて。

9日間でイスタンブールとカッパドキア、パムッカレとヒエラポリス、エフェソスを大急ぎで回るという強行軍の旅だったが、得るものも多かった。東西の境に位置し、文化的にも東と西が混じり合い、国民の大多数がイスラム教徒でありながら飲酒オッケー!の場所も多いという、一筋縄ではいかない、相反する要素が混在する不思議な魅力を持った国だ。イスタンブールは人口1400万の巨大都市で、豊かな歴史があるだけでなく、発展途上の国の活気にあふれていた。人混みをものともせず、沢山の猫がのびのびと共存しているのも魅力の一つだ。路面電車の停留所の椅子で猫が丸くなって昼寝していたり、夜には観光客でにぎわう路上で恋猫たちが求愛の声すら聞かせてくれた。
 

10月24日(金):NY JFK空港、PM12:50発、ターキッシュ エアラインズ

機内食を配るコック帽の女性添乗員がめちゃくちゃ可愛い。小麦色肌に大きな瞳で、帽子によって美しさがさらに際立っている。女優以上。トルコの白ワインと熱々のパン、フェタチーズに似た羊の乳の白いチーズ (beyaz beynir)が美味。

10月25日(土):イスタンブール、スルタンアフメット地区

朝6時にイスタンブール・アタテュルク国際空港着。座席の位置を戻すなど、添乗員による着陸時の指示はあるが、それに従わない乗客のチェックはしていない様子。着陸技術はしっかりしていた。入国審査も緩めで、夫のエドの査証もチェックされなかった。イスラム国問題でシリアとの国境管理が取りざたされている中、気になった。タクシー待ちもはっきりした行列なし。ホテルまでのタクシー60TL。相場の一番高い値段らしいと後でわかった。

セオドア・ホテル着。空室があれば、早朝着でもチェックインできるという話だったが、空室なし。荷物をホテルのロビーに置いて観光開始。鍵のかかる荷物置き場があると聞いていたが。受付の若者(男)の英語はあまり上手くない。ホテルの朝食は悪くない。ペストリーが美味しい。太ったドイツ人のおばさんがぶつかってきて、誤らなかったのには腹が立った。

ブルーモスク。行列。。。名所はどこでも長い列ができている。ホテルに空室がなかったのもうなずける。イスタンブールは賑わっている。イスラム国問題で、欧米からの観光客の一部はキャンセルしたと聞いているが、これ以上は考えられないくらいの賑わいで、新聞の見出しと実際では違うことを実感。どこに行っても人が多く、場所によっては物売りもうるさく、ようやくたどりついても歩き回ることを要求され、私たちのスケジュールがきついこともあって、体力を要する旅だった。

 
ブルーモスクに入る直前に、入場者への注意を書いた看板の下で、最初のトルコ猫を発見。悠々と寝ている。猫と人間とどちらが上か、よく分かる。



高い天井と壁に一面に貼られたタイルは、それはそれは美しいのだが、下を見ると人が多すぎ、時差ボケと寝不足でしんどい。大勢が靴を脱いで入るので、戦場のような騒ぎ。ちなみに、観光でなくお祈りに来た人の入口は別にある。
 

 
 
かつてビザンチン帝国の戦車競走場だったヒッポドロームの周りでは、たくさんの猫が平和に暮らしている。海が近いだけにカモメもいる。猫の写真を撮っていたら、カフェのおじさんが手招きして、これも撮れと亀を指さしてくれた。

 


 



たくさんいる猫たちから、レッドブルを飲むようにエネルギーを補給し、アヤソフィアへ向かう。


アヤソフィアの人智を超えたスケールと複雑な美に 圧倒された。ブルーモスクよりも古い風情があり、建築的にもより変化に富んでいて、断然気に入った。ビザンチン帝国時代にキリスト教の大聖堂として建築されたが、オスマン帝国下ではモスクとして使用されたため、キリスト教とイスラム教両方の要素が入っているのも、味わいを深めている。










Sultanahmet Köftecisiでランチ。1920年から営業しているキョフテ(グリルしたミートボール)専門店で、メニューはなく、キョフテとたっぷりの新鮮な野菜、スパイシーなソース、パンが、注文しなくても出てくる。周りの人もみんな同じものを食べていた。美味。


さすがに眠くて死にそう。 2時半ごろホテルに戻り、1時間のみ寝る。

バシリカ・シスタン(イスタンブール地下宮殿)に行こうとするが、ここも長い列。旅行社との6時の約束には時間的に厳しいのであきらめ、ぶらぶらする。一日雨の予想が、ホテルに着いたら、これ以上ないくらいにからっと晴れたけど、また曇りがちに。アヤソフィアとブルー・モスクは朝と全く違って見える。観光者用レストラン街を歩く。エド、キオスクで買った濡れバーガー食べる。甘辛い味で悪くない。


カッパドキア&エフェソス・ツアーを予約した旅行社One Nation Travelの男性社員とホテルロビーで会い、ツアーの説明を受け、残金を払う。英語も達者で、プロフェッショナルな印象。デモ状況について質問したところ、去年大きなデモのあったタクシム広場周辺は通常と全く変わらず賑わっているとのこと。自分たちの受けた印象を裏付けていて安心した。

ライトアップされたブルー・モスクとアヤソフィア。このスルタンアフメット地区は、狭い地域に見どころがぎゅっと詰まっていて、人の多さと行列からしても、イスラム文化版テーマパークといった感じ。



アヤソフィア前では、エドがフロリダ在住のアホウなトルコ人ビジネスマンにつかまり、私は不快な思い。アジア人女性軽視と結びついた感のある、英語やアメリカ文化を知らないだろうという態度が再度繰り返されたからだ。彼だってアメリカで育ったわけでもなく、英語が母国語でないのに、なぜイスタンブールまで来て、こんな侮辱を受けねばならんのだ!

夕食は、地元の人しかいない小さなケバブ屋で、トマト&ヨーグルトかけケバブ。割と美味。

にぎやかな路上には、さかりのついた恋猫二匹。声は聞いたことはあるが、実際に見るのは初めて。 

今日は全く酒なしだったので、寝酒にビールと思ったが、一応イスラム圏だからか、表通りにはビールを売ってるミニマートは見つからず断念。疲れすぎているのと、寝酒なしなのでなかなか寝付けず、むかつくトルコ男のことを考えてしまう。


10月26日(日): イスタンブール~カッパドキア

One Nation Travel はダメダメ、カッパドキアのガイドのアイリーンは二重丸。エドはぐうぐういびきなのに、私は眠れず苦戦してるところを、夏時間から冬時間への変更について旅行者もホテルも注意してくれず、イスタンブール空港の車が朝4時45分に迎えに来るところ、4時でなく3時に起きてしまう。しかも運転手は、国内でなく国際線出発ターミナルで私たちを降ろした。

寝不足と疲れでぼうっとした頭で、そんな事とは知らず、係官のミスで、私だけ何故か国際線のセキュリティを通ってしまい、後ろを向いたらエドがいないので大あわて。旅行用に買ったヨーロッパ専用の安い携帯も調子が悪く、連絡がつかない。いったんセキュリティを通った以上、パスポート審査を通っていくしか国内線ターミナルに行く方法がないと分かり、出発時間が迫る中を泣きそうになりながら、セキュリティを計4回通過した後、エドとゲートでようやく再会。エドは私を追いかけようとしたが入ってこれず、何度か呼び出しをかけたが、動転しきっているので全く聞こえなかった。

結局、私のパスポートには、トルコ2日目にして、昨日押してもらった入国スタンプに加えて、もう1セット出入国スタンプがあるという珍しい状況に陥った。でも、最後に押された入国スタンプが分かりにくい場所にあったのと動転していたので、昨日入国して今日出国した状態のままになっていると思い込み、NYに戻る際に面倒くさいことになりそうで、また泣きたくなった。

カイセリ空港着。空港と送迎車の中からイスタンブール領事館に電話を試みたが、使い慣れない電話で、イスタンブールと市外局番が同じNYにかかってしまう。NY総領事館の緊急案内につながり、アメリカからトルコにかける要領でかけたらと言われて、やっとイスタンブールにかかったが、日曜日なので状況説明のみ。明日の朝一に再びかけることにして、今できることはないので腹をくくり、もう一度だけパスポートを見直してみた。すると、今日押されたスタンプは出入国1セットであることがやっとわかった。初めての国で、珍しいミスが起きて大騒ぎしたけど、たぶん、大丈夫。

カッパドキアの2日間は、ツアーで個人ガイドを雇った。ガイドのアイリーンと合流し、パスポートを見せたところ、おそらく問題ないだろうと請け合ってくれた。スタンプの色が違うので、それそれ出入国だろうとは想像できるが、トルコ語を読めない不安が消えて安心した。昨日感じたトルコの入国審査の緩さと、日程のしんどさによる疲労から来た普段よりいささか過剰な独立心が、すべて裏目に出た状況となった。今後はこれを教訓に、海外旅行するとよく見かける中国人の新婚旅行客のようにべったりくっついていようと二人の意見が一致。

ようやくツアー開始!小さな村ユルギュップでチャイ、エスプレッソ、チーズパン。チャイは、どこでも欠かせない飲み物。ターキッシュコーヒーよりも日常的で重要らしい。どこに行っても、男たちは朝から晩までチャイを飲みながらカフェでだべっている。

イマジネーション・バレー

Monks Valley- キノコ岩「妖精の煙突」


陶芸村アヴァノス。陶芸工房のオーナーが工程や陶芸の歴史を説明、陶芸マスターが見本を示した後で体験ろくろ。

オーナーはミュージシャンで、私たちもそうだと言ったら、私が陶土まみれの手を洗いに行っている間に、サズ(トルコの伝統弦楽器)と歌による彼の演奏が始まっていた!素晴らしい演奏をビデオに撮ることができて、またとない宝物に。


ピジョン・バレーでビュッフェランチ。レンズ豆のスープはインド料理に似ているがより洗練された深みある味。ナスサラダ、地元のドライな白ワインが美味。ナスはトルコ料理に欠かせない食材で、どこでも美味しかった。




ギョレメ野外博物館。イスラム教の統治下で迫害を逃れたキリスト教徒たちが、洞窟の中のフレスコ画(写真撮影禁止)が有名だが、うーん、観光用写真の方が実物よりも断然イイ。



撮影オッケーだった壁画。


洞窟を改造した、ギョレメのフリントストーン・ホテル泊。 チェックイン後、ミニマートでついにビールを仕入れる。カフェで、ひき肉を粉モノの衣で包んだのにヨーグルトをかけた料理。ホテルにジャグジーはあるが、電話もテレビも冷蔵庫もない。




10月27日(月):カッパドキア2日目~クサダシ

さらに多くの出来事とハプニングの連続。ブート・キャンプ(新兵訓練プログラム)のような、ハードな日程の観光が続く。

気球に乗るために朝5時に迎えの車。安全のため、視界と風がベストの朝早くしか飛ばないので、日が明けないうちから、大勢の人が集まっている。レイブみたい。



気球に乗り込み、高く上がっていくうちに日が昇ってくる。百は軽くありそうな気球の眺めは壮観だ。高く高く上がると、せっかくの奇岩群も迫力に欠けるので、約1時間半の気球の旅はやや長く感じたが、一生に一度の経験であることには間違いない。気球に乗り合わせたのは殆どが韓国人、後は中国人と日本人は私を入れて3人のアジア気球だった。










ホテルに戻り朝食。メニューはシンプルだが、昨日の朝食より美味しい。田舎の方が食材が安くて美味しいからだろう。チャイ、トマト、キュウリ、フェタチーズに似た羊の乳の白いチーズ (beyaz beynir)、オリーブ、ゆで卵。やんちゃでフレンドリーな子猫と遊ぶ。

9時にイスタンブール領事館に電話し、パスポートのスタンプの件を状況説明。問題ないようだ。やったぜ!

今日のガイド、ラマザンが9時半に迎えに来る。彼の英語は昨日のガイドほどよくないので、ハズレと思った。彼の英語には時間とともに慣れてきたが、その他の点では残念ながら、私たちの第一印象が当たっていた。


Kizilcukur valley(ローズバレーの一部)のパノラマな眺めが開けるスポット(気球の終点と同じ場所)でアップルチャイ

Kizilcukur valleyに下りていく。Cavusin(チャウシン)村までハイキング





Cavusin(チャウシン)の洞窟教会。5世紀に造られ、1950年代まで人々が暮らしていた。カッパドキア最大の洞窟教会。


洞窟教会からチャウシン村を眺める


快晴の中、素晴らしい眺めを楽しみながらハイキング。カッパドキアは火星のような色のない風景と思っていたので、紅葉は嬉しい驚き。黄色が主で、たまに赤。ラマザンは、足場が確かでないところでも決して手を貸したり、待ったりせず、どんどん一人で歩いていく。ハイキングしながら、欧米に批判されているイスラム国対応は国を守るためであり、徴兵制を支持 (国を守るためには自分も従軍すると語った)、エルドアン支持はイスラム国対応も含めて、いまだに根強いと語る。 EU加盟については、トルコにとって利益になるのかどうか懐疑的だった。


昼前には、お約束の絨毯工場に連れていかれた。 中国の格安ツアーで強制的に土産物屋に連れていかれたのに懲りて、今回は個人ガイドを雇ったのにもかかわらず、ほぼ拉致状態。すぐに立ち去りたかったのに、ラマザンの姿はどこにも見えず、1時間を費やすはめに。

昼食を食べたKarakas(?) レストランは、沢山の猫コロニーと従業員数人以外に客が一人もいない、シュールな場所だった。昨日のたっぷりのビュッフェと打って変わって、パンと鍋入りチキンカバブが出てきただけだった。悪くない味だったが、分量が少なすぎ。サラダさえない。ガイドがコミッションを取るのは常識としても、これはあまりに見え見え。食後に猫と親しみ、写真を撮っていると、オニキス販売店に連れていきたいラマザンは、3回も手を叩いて私たちをせかした。











カイマクル地下都市



眺めは素晴らしかったが、団体客を追い越すために私たちを急がせ、友達のガイドとは打って変わって抱擁するラマザンの態度は、ゆっくりと楽しませてくれなかった。初めは、時間が余ればお茶でもと言っていたのに、仕事を早く終えて家に帰りたいと言わんばかりの態度が不愉快。ランチ後には、ミニバンの中で質問した時にだけ短い答えを返し、後はiPhoneでテキスト&メールチェックするのみ。

ツアーが終わり、空港への送迎車が来るまで、ギョレメ村を歩く。エドは、トルコ伝統音楽のCDを購入。私はトルコのビール一杯飲む。

カイセリ~イスタンブール~イズミルの乗り換えは時間的にタイトだが、何とか乗り切った。と思ったら、イズミルでエドのトランクが出てこない。結局45分ほど待った。全員の荷物が出てきても、エドのは出てこないので、係に訴えてからしばらく待つが出てこない。もう一度訴えると、あ、すっかり忘れてたと言ってるようなタイミングで、エドのカバンがいきなりひょこっと登場。あとでガイドに聞いたところ、ターキッシュ エアラインズは荷物がなくなるので有名なのだそう。この旅行で起きたハプニングをいろいろ考えると、イスタンブール五輪はやはり難しかったかもしれないと思った。東京五輪を支持していたわけではなかったけれど。

One Nation Travelの迎えの車。運転手だけでなく、英語をしゃべれる男もいる。運転手は英語ダメなのかと思ったら、もう一人の男よりうまかった。海沿いのリゾート地クサダシまで約1時間を、暗い中のドライブ。エドはぐーぐー寝ていたが、私はイスタンブール空港でのトラウマがあるので、この時間にとんでもないところに連れていかれてはたまらんと思い、全ての標識を見守っていた。1時過ぎ、ついにホテル着。50年代後半から60年代に建てられたらしく、やや古臭いが、やっと本物のホテルに着いた。少なくともエレベーターと、ビールの入った冷蔵庫がある。 (トルコのビールEFES が一缶7トルコリラ! ホテル値段だ) 。明日の朝、テラスから見えるだろうエーゲ海の絶景を夢見ながら眠りにつく。









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