Wednesday, January 3, 2018

カンボジアへの旅 Part 9 シェムリアップ〜ニューヨーク


11/18(土)

カンボジア最後の日。キャセイパシフィックの格安航空キャセイドラゴンで午後5時25分にシェムリアップ空港から香港、バンクーバー経由でニューヨークに帰国予定。

高山病と食あたりらしい夫の体調は良くならず。部屋を暗くして寝ている。

私はもう一度だけ、ホテル向かいのマーケットとミニマートに行き、お土産を買う。

クロマーハウスでは3回も買い物してしまった。最後に追加で買いに行ったら、子猫が昼寝していた!


何度も通ったミニマート

いかしたコーヒーのパッケージ

アンコールワットの絵の描いてあるお菓子をお土産に


自分の荷物をまとめる。

正午がチェックアウトだが、フロントに電話して、飛行機の時間まで居られるように延長してもらう。延長料金20ドル。昼食は、夫用におかゆのルームサービス。私はミニマートで買ったペストリー。

体の痛みと寒気を主に訴え、指の痺れと発熱も。インフルエンザのような症状。うめき出す。ナースプラクティショナー(一定レベルの診断や処方を行う資格を持つ上級看護職)の夫の妹にフェイスブックのメッセンジャーで連絡を取り、アドバイスを受ける。
タイレノールとモートリン(ibuprohen)がいいと言われ、量を確認して、近所の薬局に行く。

言われた通り薬を飲んだがよくならず、汗を伴う発熱が。うめきがさらに大きくなる。

フロントに頼んで医者に来てもらう。15分ほどで、若い女医と助手が古いミニバンで到着。強度の脱水症状との診断で、飛行機に乗るのは無理だと言われ、即入院することに。点滴をハンガーにかけて開始し、抗生物質を服用。バンで5分ほどの小さなクリニックへ。




夫のパスポートをホテルの金庫に入れたままにしてきたので、ドライバーのバイクの後ろに乗って(ヘルメットなし!)でホテルに戻る。なんかすごい体験してるな。

医者が、飛行機に乗れないという証明書を出してくれた。この証明書を持って、空港に行き、チケットを変更してもらえと言われた。同じドライバーのバンで今度は空港へ。

航空会社のマネージャーにかけあったが、証明書は何の役にも立たず。しかも、乗る予定だった飛行機のチェックイン時間の真っ最中なので、人が出払っていて、予約変更もできないとおっしゃる。こちらとしては、予定搭乗時間前に変更したいのだが。香港本社の電話番号3つを書いてくれただけ。医者に確認しようとしたが、私の携帯はつながらず、ドライバーの携帯でかけたが、つながったと思ったら電池切れに。ホテルに戻り、予約変更の手続きをすることに。

教えられた香港の番号にかけたが、何回かけても、係員と直接話せない。ホテルのフロントも試してくれたがダメ。一回だけ出てきた係員は、なぜ香港に電話してくるのか不思議そうだったので、その経緯を大声で説明する。しかし、彼も担当ではなく、また同じ番号に回されてしまう。電話の通じるのを待ちながら、自分にご褒美をあげようと思って、ホテルのカンボジア式マッサージを予約。

あきらめて、チケットを買ったExpediaに電話。搭乗時間が迫っていなかったら、Expediaのサイトでちゃちゃっと変更できるのに。結局、アリゾナ州の係員と話せたが、ものすごく接続が悪く、数回向こうからかけ直してもらい、接続のいいところを探してウロウロ歩き回りながら大声で喋る状態を1時間15分以上続けた。チケット変更のメールを受けとったのは7時近くだった。変更料2人で500ドル。長時間待たせたので申し訳ないと言って、150ドルほど安くしてくれた。

ホテルから、切符変更に時間がかかっているとクリニックに電話してもらっていたけど、さすがに夫が心配しているはず。慌ててクリニックに戻る。

夫の熱は下がったが、血圧の下が40ととんでもなく低く心配。本当に無理して飛行機に乗らなくてよかった。脱水症状がさらにひどくなっていたことは間違いない。

クリニックは古くて小さいが、私が通っている、ニューヨークのチャイナタウンの鍼のクリニックよりは格段に清潔だ。



VIPルームに入院!ここは、観光客が病気や怪我をしたりすると運ばれることになっているクリニックのようだ。地元の人もいたが、怪我をしたらしい白人観光客を2人見た。受付の職員側の電話のところに、ハイアットやリージェンシーなど大手ホテルの番号リストがあった。


部屋に貼ってあった注意書き。備品を大切に扱えとか、個人の所持品の盗難に対して責任を負わないというのは当然だが、「武器や爆発物を持ち込まないように」という項目にはぶっ飛んだ。


アメリカで入院する感覚と同じでいたので、素人が何もできることはなく、共倒れになってもしようがないので、私は当然ホテルに泊まるつもりでいたら、泊まった方がいいと医者に言われる。そんなに重症なのか、カンボジアではそれが普通なのか、原因がまだわからないので何とも言えないが、そう言われたら、病院に泊まるしかない。

そうなれば、自分の荷物を取りに、またホテルに行かなければならないので、9時からのマッサージはキャンセルしないことにした。夫の夕食に、おかゆをホテルからデリバリーしてもらう。

夜は泊まるつもりで部屋をキープしていたが、今夜の分のホテル代はこれまでの81ドルから安くなって60ドルに。夕食を食べる暇もないと見てか、春巻きとバナナともう一品、スナックをサービスで部屋に持ってきてくれた。シャワー浴びてさっぱり。

部屋で行うカンボジア式全身マッサージ1時間で20ドル。ふくよか気味の女性マッサージ師。強すぎず丁度よく気持ちいい!!チップを2ドルあげた。
シェムリアップのナイトマーケットの近くには1時間1ドルとか5ドルの看板がたくさん出ているが、さすがに安すぎて勇気がいる。
全身マッサージで、疲れとストレスが少しは解消されたような気がする。私も病気になっちゃ大変だ。

ホテルに戻るときに約束しておいたトゥクトゥクで、夜11時ごろクリニックへ戻る。

予備ベッドはなく、プラスチックの椅子2脚と籐椅子1脚あるのみ。ベッドは1人用の大きさなので、夫と頭と足を逆にしてベッドで寝た。もう一つの椅子に足をかけて、籐椅子に寝るときもあった。

看護婦を呼ぶボタンはなく、下痢したり、点滴が切れたりしたら、私が人間ナースベルになった。受付の後ろに簡易ベッドで寝ている看護婦を起こしに行き、看護婦がその隣の診察室で寝ている看護婦を起こす。夜中の3時でも、当然眠そうではあるが、嫌がらずに来てくれる。


複数の状況での水と食べ物に起因するバクテリアが原因とのこと。血液検査をしたが、どのバクテリアかは特定できず。アンコールワット周辺だけでなく、タイ国境に近い田舎に足を伸ばしたせいだろう。水道水は飲まず、加熱したものしか食べないようにしていたが、つい1回だけ歯磨きを水道水でしたのはまずかった。

下痢止め

抗生物質。腹痛と下痢を抑える

抗炎症薬。下痢止め


戦いの場


11/19(日)

血圧は110と62に。ほぼ正常値。熱もなく、食欲も出てきた。

大きな道を渡り、朝食のコーヒーとパンを買いに行く。写真の中央右に見える青の救急マークがクリニック。


コーヒースタンドの隣の店の兄妹

なかなか美味しいコーヒーだった。パンは、夕飯を食べた、チェーン店のカフェ「Blue Pumpkin」のもので、これも美味しかった。

1年半ほどここで商売しているそう


ホテルに戻り、着替えなどを取ってくる。

明日帰国できることにはなったが、今夜も入院するかどうかが、ホテル側に伝える期限の3時をすぎても分からなかったので、部屋を取ってもらう。

抗生物質


検便の結果、アメーバが発見された。アメーバを殺すための抗生物質を服用。

当然ながらげっそりしているものの、体調はかなり良くなったが、下痢が続いているためにもう1日入院することに。血圧と体温もまだ安定しない。点滴は続く。

昼食と夕食は、またホテルからデリバリーしてもらう。そうしなくてもいいのだが、まさに食べ物が原因なだけに安心なので。
消化に良い優しいアメリカの食べ物の定番チキンヌードルスープを説明しようとするが、英語は通じても内容は通じず。普通の人参や玉ねぎもないという。結局、チキンのおかゆでスパイシーでなくという、ホテルの朝食メニューの一つになってしまう。フレンチトーストも注文。夕食は トゥクトゥクで運んできたのでその分の料金を払ったが、それ以外はフロントの男女スタッフがバイクで運んできてくれた。

夕食は、夫は魚のおかゆ。私は海老のヌードルスープ。

夜中、急にたくさんの人がバタバタ入ってきたと思ったら、妊婦が分娩で苦しがる声が聞こえてきた。私は人間ナースベルなので、寝ておけるときに寝ておきたく、ヘッドホンで音楽を聴きながら眠った。無事生まれたかな?


11/20(月)

朝8時ごろに退院が決まる。点滴からやっと解放された!女医とスタッフ一同で記念写真を撮る。2泊3日で計847ドルなり。もしやもっと安いかもと期待したほどではなかったが、1000ドルを超えないだろうという勘は当たった。アメリカだったら3000ドルでも足りない。山ほど薬をもらう。入院中に飲んでいた、オレンジ味の甘い砂糖&ビタミンドリンクのパウダーも、機内で下痢をしたら飲むようにもらう。ちなみに、夫と同じアメーバ症で入院するのは、このクリニックで週に5人ほどだそう。

ホテルに戻り、スーツケースを取って、ついにチェックアウト。昨夜分の部屋はチャージされていなくて感激。航空機切符変更の時にお世話になった、フロントの男性に、病院はいくらかかったか聞かれる。847ドルと答え、地元の人にとっては大変な金額なんだろうなあと思いつつ、「Life is priceless(命はお金じゃ買えない)」っていう決まり文句を言ってみたら、返事がなかった。やっぱり、アメリカや日本じゃないんだなあ。
命には値段がある国。数日前に目撃したバイク事故と合わせてもそう思った。バイクは便利だし車と比べて安価だけど、安全性では車にかなわない。安全は金で買うものなのだ。

空港までのドライバーは、アンコール・トムやコンポン・プルック水上村に連れて行ってくれたサルー。

キャセイドラゴン航空5249便。シェムリアップ発11時20分。
病室でカンボジアのおかゆやヌードルスープばっかり食べていたので、数年ぶりのバーガーキングが美味しかった。


2時間半ほどで香港着。乗り継ぎ時間1時間20分でタイト気味。忙しい日常に戻ると、非日常の中に現れた天使が消えて、ややイラっときてしまう。

キャセイパシフィック840便、16時20分香港発。ニューヨークJFKに同日19:05到着。帰国日が延びてよかったのは、飛行機の時間が2回乗り換えから1回になり、4時間以上も短くなったこと。夫は、糖尿病になるから常用するなと念を押された、病院のオレンジドリンクに救われたと言っていた。

猫たちと無事に再会。月曜から仕事に戻る予定だったが、夫の様子を見るためと自分に休みをあげるために、火曜も休む。

火曜も休みにして正解だった。夫は、消化にいい、あっさりした物を食べなくてはいけないことは医者に言われて分かっているが、実際に食べるものを選ばせるとダメだ。私が目を離した隙に、近所のダイナーから、ベーコン入り卵サンドイッチ(マヨたっぷり)とアップルブリンツ(ユダヤ系のバターたっぷりのクレープ)を注文し、私が代わりに食べた。しかも、カンボジアの畑の中のトイレに入ったのと同じ靴で部屋を歩き回り、私も疲れているのに、モップをかけなくてはならない。

夫は、時差ボケとあまりにもたくさんの薬を飲んだ副作用で、1週間半ほどしてから完全に回復した。

遺跡好きの夫が3年来あたためていたカンボジア旅行は、周到のはずだった準備にもかかわらず、トラブルが続発した。

アンコールワットでは夫がスリに遭い、履き捨てようと思っていた私のハイキングサンダルはプノンペン観光中に分解(バイクの後ろに荷台をつけたタクシーでパチモン靴屋に行き、偽物ナイキを10ドルで購入。値切ろうとするも、まさに足元を見られて値切り交渉成り立たず)。シェムリアップで写真を撮っていたら、野良犬が私の足に頭突き攻撃し、致死の狂犬病に怯えた(噛まれも引っ掻かれもしないので大丈夫だったが)。

最終日に至り、夫のアメーバ症による強度の脱水症状で即入院&点滴、帰国延長となった。

昼夜を問わない適切で親身なクリニックの治療と、バイクで三度のご飯を配達してくれたホテルのおかげで夫は回復、無事帰国することができた。クリニックの治療ぶりは、ナースプラクティショナーである義理の妹に逐一報告・確認していたが、きちんとした治療をしている、との彼女のお墨付きを受けた。

夫はもうこりごりだろうけど、私は再訪してみたい。人も猫も遺跡も街並みも自然も全てがあまりにもフォトジェニックな国だった。田舎はもういいが、プノンペンの人々とシェムリアップの裏道をもっと撮りたい!色々旅行してきたが、こんなに素敵な笑顔の人たちがいるところを他に知らない。4千枚撮ったが、もっと撮りたい!

病院とホテルの対応が良かったのも心に沁みた。地元通貨リエルとドルが共に流通していて、長年の内戦後に喉から手が出るほど外貨が欲しい国であるのは確かだが、同じ立場で、これだけ素晴らしい対応ができる国がどれだけあるだろう?

カンボジアの平均寿命は2015年時点で68.66歳、平均年齢24歳。観光資源である遺跡群とは逆に、人々を見たときの若い国という印象と一致する。もちろん、この背景にはクメール・ルージュの大量虐殺がある。

タイなど近隣のアジア諸国では消えた風景がまだ残っていると言われるカンボジアだが、開発が進めば、人々はどのように変わっていくのだろうか?



(終)






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